NASCAR好きなMOPAR乗りの独り言

古くて大きなアメリカ車との日々と、NASCARレースや模型についてつらつらと・・・・。

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タイトル画像 その3

前列左から7人目より

Dale Earnhardt(デイル・アーンハート)選手

20100605_1

スピードウエイへ行くと今でも#3のグッズを身につけているファンが本当に
たくさんいる。
もういい加減デイルで商売するのはどうかとも思うが、新製品も毎年リリース
されていて、それだけレースファンにとっては忘れられない人物なのでしょう。

こんなスーパースターでもフル参戦まで5年もかかってるのかぁ・・・。
通算676戦76勝。
フル参戦初年の1979年に早くも1勝(第7戦『サウスイースタン500』ブリストル)。
ランキング7位。ルーキータイトル。
翌1980年に5勝してあっという間にチャンピオン。
以後86、87、90、91、93、94年と計7回シリーズを制する。
この鈴鹿の時点で23シーズン目、70勝の超ベテラン。
父・ラルフ、息子・ケリー、デイルJr.(ともに異母)もレーシングドライバー。
1984年から最後までRCR所属。
2001年開幕戦デイトナ500のレース中、ファイナルラップの事故により他界。
享年49歳。
あと何勝できたかなぁ。



Wally Dallenbach, Jr.(ウォーリー・ダレンバックJr.)選手

20100605_3

↑画像は96年の時。奥で腰を下ろしていますね。
NASCARにもこんなスポンサーが付くようになったのかと思いました。当時。

通算226戦。1991年カップデビュー。デビュー2年目にラウシュのNo.2に抜擢。
94年にはペティーの#43を背負うもシーズン途中に解雇。
鈴鹿は96年バド・ムーア、97年サブコと当時の所属チームから参戦。
この時点で7シーズン目。
翌年途中、負傷後の後遺症で空いたリッキー・クレイヴン選手の後釜で
ヘンドリック加入を果たしたもののチャンスを活かすことが出来ず。
2000年ギャラクシー・モータースポーツで1年戦った後は、予選通過は
翌2001年にAPRからスポットで参戦(第15戦『ポコノ500』ペンシルベニア。
決勝26位)したのが最後。

1985年のSCCSトランザムシリーズ・チャンピオンなど、もともとロードコース
では定評があり、95年のようにソノマとグレンにだけスポットで雇われるほどで、
生涯最後のカップ参戦もバックショット・ジョーンズ選手の代打でペティーから
エントリーしたワトキンス・グレン(結果はDNQ)。
一線から退いてNBC/TNTのテレビコメンテーターになってからも番組の一環
(『ウォーリーズ・ワールド』)で2005年までブッシュ・シリーズに
たびたび出場し、ルーキー選手に洗礼を加えてみたり、また、2006年の
デイトナ24時間ではポールからスタートしている。
どうやら2世のドライバー育成に励んでいるようです。

父親は1965年から79年までインディ・カーで活躍(通算5勝)し、引退後は
CARTシリーズのチーフ・スチュワードだったウォーリー・ダレンバック。

つづく。


2010.6.12

●ファイティングラッシュ45〈日榮さん〉
●CALORIE HUNTER45〈勝田さん〉
トレッドミル2km(月曜日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
● キックシェイプ30〈国田さん〉
● やさしい太極拳〈国田さん〉
トレッドミル 2km(火曜日)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
● スリムボクシング30〈古井戸さん〉
● パワーラッシュ45〈古井戸さん〉
● ストレッチ
トレッドミル 3.5km(昨日)

| NASCAR | 13:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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