NASCAR好きなMOPAR乗りの独り言

古くて大きなアメリカ車との日々と、NASCARレースや模型についてつらつらと・・・・。

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タイトル画像 その1

鈴鹿での開催は最後となったこの時は、レインコンディション(決勝は晴れ)での
走行を見ることができました。

記念撮影の様子です。

あれから12年、彼らはその後はどういうキャリアを送ったのでしょうか。


前列左より

David Green(デービッド・グリーン)選手

前年にランキング2位でブッシュ・グランドナショナル・シリーズ(現ネイション
ワイド・シリーズ)を卒業。チームと一緒にカップにステップアップしたルーキー
シーズンでした。
成績は今ひとつ伸び悩み、翌1998年第12戦終了後チームから解雇。
他にフル参戦できたのは1999年だけ。2004年までスポット参戦するものの通算78戦
して最高位は12位(1999年第32戦『Checker Auto Parts / Dura Lube 500』
フェニックス)。
その後は主戦場を再びブッシュ・グランドナショナル・シリーズに戻し、昨年まで
参戦していましたが今年は名前を見ませんね。どうしたのかな・・・

1996_95

↑写真は96年の鈴鹿。翌年のステップアップにあたり、カーNoが#96に
変わるのでカップ仕様車での#95はこの時のみのハズ。



Kenny Irwin, Jr.(ケニー・アーウイン Jr.)選手

前年にクラフツマン・トラック・シリーズ(現キャンピングワールド・トラック・
シリーズ)デビューでこの年はフル参戦して2勝。
シーズン終盤にブレアー・レーシングからカップデビュー。そのデビュー戦で
予選2位、決勝8位。
名門ロバート・イエーツ・レーシングの目にとまり、翌1998年の契約を獲得。
この時は移籍するアーニー・アーバン選手の代わりに来日。
ルーキー・タイトルや1999年『Daytona 500』の3位など2シーズンで
トップ5フィニッシュ4回などの成績ながらチームを満足させることが出来ず、
2000年よりチーム・サブコに移籍。第9戦『DieHard 500』(タラデガ)4位など
成績を残しますが、第17戦『thatlook.com 300』(ニューハンプシャー)の
プラクティス中の事故で帰らぬ人となります。通算87戦。享年30歳。
アダム・ペティー選手も少し前に亡くなっており、若い有望選手があっという間に
駆け抜けて遠くへいってしまったシーズンでした。



Michael Waltrip(マイケル・ウォルトリップ)選手

1999年マッテイ・モータースポーツへ、そして2001年にデイル・アーンハートInc.
移籍まで16シーズン未勝利。通算4勝がすべてプレート・レース、うち『Daytona
500』2勝(2001、2003年)。
そのキャラクターを含め、記録より記憶に残る選手・・・かな。
現マイケル・ウォルトリップ・レーシングのチームオーナー兼ドライバー。
フル参戦は昨年まで。
今シーズンは若手にシートを譲り、自チームおよびプリズム・モータースポーツより
スポット参戦中。ここまで762戦。



Bobby Hamilton(ボビー・ハミルトン)選手

翌年の茂木にも来ていましたが、サイン攻めにうんざりしていたのが印象的でした。
前年にカップ初優勝し、この年の第13戦『Pocono 500』(ペンシルベニア)、
翌年の第8戦『Goody's Headache Powder 500』(マーティンスビル)に勝って
上り調子かと思われましたが、その後は2001年に1勝のみ。
負傷や所属チームの存続問題などアンラッキーでしたかね。
一時期、息子のボビー・ハミルトン Jr.と同じ土俵で戦っていました。
カップ戦は2003年の3レースが最後。その後、もともと運営していた自チームから
クラフツマン・トラック・シリーズを3シーズン戦いました。
2006年の第3戦後にガンに侵されていることを告白。闘病虚しく2007年1月に死去。
通算371戦。享年49歳。

こころざし半ばで逝ってしまった選手は無念だったでしょう。


つづく。



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