NASCAR好きなMOPAR乗りの独り言

古くて大きなアメリカ車との日々と、NASCARレースや模型についてつらつらと・・・・。

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レイ・フォックスさん



エンジン・ビルダー、チームオーナーで有名な人らしいですが、40年以上も前の
1972年を最後にチームを手放したということで、ほとんど存じ上げません。
4年前に観戦に連れて行ってもらったデイトナ500のオープニングセレモニーで
登場した、1960年の優勝車(レプリカらしいけど)をWEBで調べた時に
ちらっと名前を見たぐらい。

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当時このくるまのエンジンビルダー/クルーチーフとして、優勝ドライバーだった
ジュニア・ジョンソンさんと一緒にゲストで来場されてたようですね。
6月15日に98歳で亡くなりました。

またちょっと勉強です。
正直こういうきっかけがないと昔の出来事なんて調べないからね。


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ファイヤーボール・ロバーツ選手と。1958年頃?



オーナーとしてカップを200戦。14勝。ポールポジション16回。
陸軍除隊後、フロリダ州デイトナで『フィッシュ・キャブレター』社や自動車修理の
職に就きながら自身もモディファイド・レースに出場していたようです。

エンジンビルダーとして大きな一歩を踏み出したのはデイトナ・スピードウェイが
誕生する以前の1955年。

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ファイヤーボール・ロバーツ選手のためにくるまを造り、デイトナ・ビーチ・
ロードコースで行われたグランドナショナル・シリーズ第4戦にエントリー、
いきなり優勝(後にプッシュロッドに小さな違反が見つかり失格)。


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併催のモディファイド・スポーツマンで3位だった’40年型フォード。

カール・キークヒーファーさんに雇われ、2シーズンのみの短命だったチームながら
合計52勝、'55年にティム・フロック選手、’56年もバック・ベイカー選手で
タイトルも獲得。メカニック・オブ・ジ・イヤーに選出され、シーズンオフには
自身のエンジンショップを開業。


009_1960DAYTONA.jpg

1960年にジョン・マソーニさんのチームから1960年のデイトナ500用に依頼され、
1週間で作り上げたとされるくるまでジュニア・ジョンソン選手が優勝。
以後クルーチーフとしてチームに参加。
この年ジュニア・ジョンソン選手は自身が出場した28戦中23戦をこのチームで走り、
他に第33戦サウス・ボストン、第36戦ヒッコリーで優勝。


023_jimpaschal_pontiac61.jpg

翌年ポンティアックにスイッチ、7レースで乗ったデーヴィッド・ピアスン選手が
第24戦『ワールド600』での自身初優勝を含む3勝。
画像は第3戦、第5戦のデイトナのみ乗ったジム・パーシャル選手。


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’56年に始まり’59年でシリーズ戦が消滅したコンバーチブル・ディヴィジョンは、
ダーリントンで『レヴェル300』というタイトルで1962年まで単独開催。
これはデーヴィッド・ピアスン選手で出場した1961年。


1962年に自身のチームの立ち上げ。
マソーニさんのチームを引き継いだ形なのかな、#3もそのまま。
参加した14戦中6戦で乗ったジュニア・ジョンソン選手がシャーロットでの
第52戦『ナショナル500』でチームに初優勝をもたらします。
以後複数の有力ドライバーが持ち回りで乗るスタイルで参戦。

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’63年。40レース参戦したうち、ジュニア・ジョンソン選手が32レースで7勝。


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’64年のジュニア・ジョンソン選手。ダッジにスイッチ。
3勝したうち、このチームではデイトナの予選レースで1勝。


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同年のバック・ベイカー選手。第51戦ダーリントンの『サザン500』で1勝。


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リーロイ・ヤーブロー選手が11レース。
これは第41戦ペンシルベニア州リンカーン・スピードウェイでの
『ペンシルベニア200』。ダートオーバルだね。


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スーパーチャージャー積んだ’65年のストック・ボディ・レコード・カー。
リーロイ・ヤーブロー選手の手で当時の記録樹立。


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同年。バンキー・ブラックバーン選手が2レースで使用した#33シボレー。


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F1ドライバーだったイネス・アイルランド選手で’67年の『デイトナ500』出場。


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11レース乗ったバディ・ベイカー選手が第47戦『ナショナル500』で優勝。


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翌’68年にも37レース乗り、第18戦『ワールド600』優勝。


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’69年。第28戦デイトナの『メダル・オブ・オナー・ファイアクラッカー400』。
旧型となったチャージャーで#37として6戦出場したドン・ター選手が、
このレースを含みトップ10フィニッシュ3回。


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こちらは新車の500。ジム・ヴァンダイヴァー選手は2レース。
第44戦『タラデガ500』で2位。
翌年も3レース出場。


’70年代に入ると急激に活動を縮小。


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1970年、リチャード・ハワードさんに手をかす形で数戦。
ドライバーはフレッド・ローレンセン選手。
第31戦アトランタの『ディキシー500』でポール。


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こちらは第44戦シャーロットの『ナショナル500』。3位フィニッシュ。


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1972年はわずか1レース。
前年に3レース出場したケイル・ヤーボロー選手が『デイトナ500』のみ参戦。

’74年に10年振りの、そして最後のカップ参戦だったウォーリー・ダレンバック選手
(お父さんの方ね)が乗った第28戦『ナショナル500』を最後に撤退。

いったん、レースの世界から身を引きますが、1990年からエンジン検査官として
NASCARに携わり、1996年をもってリタイア。


息子のレイ・フォックス,Jr.さんは亡くなる以前、RYRで、孫のレイモンドさんは
RYRからペティ、現在はたぶんペンスキーで#22を担当。


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2001年にも2人がゲストだったんですね。ジュニア・ジョンソンさんと。

ご冥福を。


2014.6.26


● ファイティングラッシュ45〈北村さん〉
● パワーラッシュ45〈植松さん〉
 (土曜日)
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● ファイティングラッシュ45〈植松さん〉
● DDDハウスワークアウト〈宮本さん〉
 (日曜日)
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● RHYTHM MASTER〈横田さん〉
● パワーラッシュ45〈瀬野さん〉
 トレッドミル1.5km(火曜日)

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